100点を待つより60点から育てていく
〜中国のロボット開発から考える、完璧主義との向き合い方〜

前回のブログ「本質の見極め方」では、自分の視点だけで物事を判断するのではなく、相手の視点や第三の視点から見直すこと。 そして「なぜ」と「具体的には」を繰り返しながら、本質に近づいていくことについて書きました。
しかしどれだけ考えを深めても、頭の中だけで生まれた答えはまだ一つの仮説にすぎません。
その仮説が本当に正しいのかは、実際に行動し、現実から返ってきた反応を見なければ分かりません。
先日たまたま目に留まったのが、中国・北京で開催された「世界人型ロボット運動会」のニュースです。
人型ロボットがトラックを走り、跳び、競い合う。競技に特化した条件では、人間の陸上記録を上回るほどの速さを見せるロボットがいる一方で、スタート直前に倒れたり、走り終えたあとに止まりきれなかったり、衝突して壊れたりする姿もありました。
その光景は異様かつ完成された未来を披露する展示会というより、開発途中の技術を持ち寄り、実際に試しながら次の答えを探す巨大な実験場のようにも見えました。
この大会に日本から唯一参加したのが、GMOインターネットグループです。
「ひとみん」と名づけられたロボットは、400メートル予選を10位で通過。 準決勝では転倒して完走できませんでしたが、1500メートルでは決勝の組を走り切り 3位に入りました。
挑戦した技術者の方々には素直に敬意を感じます。
しかし同時に気になったことがありました。
ひとみんの機体は、中国企業Unitreeのロボットです。 GMOはその機体を走らせる制御ソフトウェアを開発していました。
つまり日本のチームが大会へ挑戦するために、中国企業の作った機体を使っていたのです。
この事実だけで、日本と中国の技術力すべてを比較することはできません。 それでも人型ロボットの分野で中国が完成品だけでなく、他国の企業が開発に使う「土台」まで作り始めていることは、象徴的な出来事に感じました。
中国製品に抱いていたイメージ
少し前まで中国製品に対して「価格は安いけれど、品質はそれほど高くない」という印象を持っていた人は少なくないと思います。
私自身にも完成度が十分でなくても次々と商品を作り、市場に出していくイメージがありました。
一方日本のものづくりには、一つのものを時間をかけて磨き上げ、品質を高めてから世に送り出すイメージがあります。
日本の丁寧さや品質への責任感は、間違いなく強みです。 安全性や信頼性が求められる分野では、簡単に手放してよいものではありません。
ただ技術や市場の変化が速い今、完成までに長い時間をかけることには別のリスクもあります。 ようやく完成したときには、市場や技術がすでに次へ進んでいるかもしれないからです。
今回の大会ではロボットが転倒し、故障し、ときには衝突する姿まで人前にさらされていました。
それでも実際に走らせるからこそ、どこでバランスを崩すのか、どこに熱がたまるのか、何を改善すべきなのかが分かります。
少なくとも今回の大会から私が感じた中国の強さは、「完成度が低くても構わない」ということではありません。
まず作る。実際に動かす。失敗からデータを得る。そして、すぐに改良する。
この試行回数の多さが、開発速度の差につながっているのではないでしょうか。
完璧主義は、悪いものなのか
これはものづくりだけの話ではありません。
私は完璧主義そのものが悪いとは思いません。
より良いものを作りたい。相手に満足してもらいたい。中途半端な仕事はしたくない。
その意識があるからこそ、細部まで考え、質を高めることができます。高い基準を持つことは、その人の誠実さや責任感にもつながります。
ただし、「高い基準を持つこと」と「最初から100点を出そうとすること」は同じではありません。
100点にならなければ始められない。 人に見せられない。次へ進めない。
そうなると完璧主義は自分を前へ進める力ではなく、動けなくする理由に変わってしまいます。
そして行動する前に100点かどうかを判断しているのは、自分自身です。
自分では完璧だと思ったものが、相手には響かないこともあります。
反対に自分では不十分だと思っていた部分に、相手が思いがけない価値を感じることもあります。
さらに言うと、その完璧さ市場が求めている以上のものを作ってしまい、結果コストだけかかった、オーバースペックのもの、すなわち不必要なものまで作ってしまう可能性もあるかもしれません。
現実からの反応を受け取る前に、本当の100点を知ることはできません。
だから、完璧主義は置く場所が大切なのだと思います。
行動する前の完璧主義は「ブレーキ」になる。
行動した後の完璧主義は「改善のエンジン」になる。
最初の一歩を止めるためではなく、踏み出した一歩をより良いものへ育てるために使う。 そうすれば完璧を求める意識は大きな強みになります。
人生は、正解を当てるテストではない
私は人生とは選択の連続だと思っています。
・何をするのか。
・何をしないのか。
・どちらへ進むのか。
私たちは毎日のように選択をしていますが、そのすべてで正解を選び続けることは、おそらく不可能です。
それなら、選択を「正解を当てるもの」ではなく、「自分の仮説を試すもの」と考えてみてはどうでしょうか。
ここでいうテストとは、学校の試験のように、決められた正解を当てることではありません。
今の自分にできる範囲で選び、行動し、その結果を見る。
うまくいけば続け、違うと思えば修正する。 その繰り返しから、自分なりの答えを作っていくためのテストです。
もちろん命や健康など、簡単には元に戻せない選択には慎重さが必要です。
しかしやり直せることや小さく試せることまで、100点の確信が持てるのを待つ必要はないと思います。
・発信してみる。 ・誰かに相談してみる。 ・小さな商品を作ってみる。 ・興味のあることを学び始めてみる。
最初は50点や60点でもいい。
その点数で満足するのではなく、得られた反応や経験を使って、70点、80点へと育てていけばいいのです。
理想は、進む方向を示すものであって、動き出すための条件ではありません。
中国のロボットたちも、転ばなくなってから走り始めたわけではありません。
走ったからこそ、転ぶ理由を知り、次の一歩を速くしてきたのだと思います。
私たちの人生も、きっと同じです。
完璧な答えを待ち続けるより、不完全でも一歩を選び、その一歩から学ぶ。
人生とは、正解を当て続けるテストではなく、行動しながら自分なりの答えを作っていくものなのだと思います。
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