top of page

"終わり" を決めると、人は驚くほど変われる/後編

  • hirovideocreator
  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

〜終わりが教えてくれた、もう1つの視点〜




はじめに

前編では、カナダ生活に「終わり」を決めたことで、私自身の行動や時間の使い方が変わっていった体験について書きました。


ただ、当時の私は「なぜ変われているのか」をはっきりと言語化できていたわけではありません。


集中できている。

迷いが減っている。

時間の密度が変わっている。


後になって振り返ってみて、その変化の背景には、

一つのはっきりとした構造があったことに気づきました。


後編では、そのことについて整理してみたいと思います。



▼ この記事でお話しすること(後編)

  1. 終わりを受け入れた瞬間  カナダ生活の終わりを受け入れたとき、焦りではなく静かな覚悟が生まれた。

  2. オートパイロットという状態  主体的に動いているつもりでも、判断を環境に委ねていた自分に気づいた。

  3. 目標だけでは足りなかった理由  期限のない目標は、行動を曖昧にし、オートパイロットを止められなかった。

  4. 時間が“今”に戻る  終わりを決めたことで、時間が具体性を持ち、問いが現在に立ち上がった。

  5. 選び直すという行為  終わりを決めることは、人生を諦めることではなく、主体的に選び直すことだった。





  1. 終わりを受け入れた瞬間




カナダ生活に「終わり」を決めたとき、不思議と、焦りよりも清々しさのような感覚がありました。


「ああ、あと10ヶ月で、カナダ生活も一旦終わるんだな」


その感覚は、大袈裟に言えば、どこかで「終わり」を受け入れているような、

いわば “死を意識している状態” に近かったのかもしれません。


だからこそ、残された時間を、できるだけ誠実に使いたい。

無駄に流したくない。

そんな決意が、自然と生まれていたように思います。


その結果、やりたいことと、やるべきことが整理され、思考と行動が、以前よりもはっきりと噛み合い始めました。


そして同時に、これまでの自分の行動を、少し距離を取って見られるようにもなっていった。


そこで気づいたのが、私自身の行動の大きな問題点でした。


それは、いつの間にか、自分の人生を「オートパイロット」で生きていたのではないか、ということです。



  1. オートパイロットという状態




ここで言う「オートパイロット」とは、何も考えずに生きている状態のことではありません。


仕事もしている。

生活も回っている。

一見すると、主体的に生きているように見える。


けれど実際には、判断の多くを「慣れ」や「流れ」に任せている状態。

次に何をするかを、自分で決めているつもりで、実は環境に委ねている感覚です。


結果1年を振り返ったとき、何をしていたかは思い出せるのに、なぜそれをしていたのかは、うまく説明できない。

これは怠けているからでも、能力が足りないからでもありません。


人が環境に適応した結果として、誰にでも起こり得る自然な状態だと感じています。



  1. 目標だけでは足りなかった




これまでの私にも、目標はありました。

カナダの永住権を取ること。

映像制作の技術を高め、表現の幅を広げること。


ただ振り返ってみると、それらは 未来の理想を抽象的に表した言葉だったように思います。

行動はしていました。

けれど、1日1日の動きが「ここに向かっている」とくっきり定まっていたかと言われると、そうではなかった。


つまり、目標はあったけれど、その終わりや期間を決めていなかった

その結果、行動の効率や精度は、どうしても低くなっていたのだと思います。


例えば英語の学習でも、「とりあえず話す」という曖昧な行動を繰り返していました。

もしこれが、「いついつまでに、これだけの人と話す」というように、期限と終わりを決めた行動だったとしたら、同じ行動でも中身は大きく変わっていたはずです。


これは映像制作においても同じでした。

カナダを去るまでの「残り10ヶ月」という期限が見えたことで、初めて私は、

この期間で何ができるのか。

何を優先すべきなのか。

そうしたことを、本気で考えるようになりました。


そこから、目の前の作業だけでなく、全体を俯瞰して考える視点が生まれていった。

ここで、はっきりしたことがあります。


いくら目標やゴールがあっても、期限を決めずに動いている限り、オートパイロットは止まらない。

目標を持っていても、ダラダラ動いている状態は、本質的には同じだったのだと気づきました。



  1. 時間が“今”に戻る




終わりが決まった瞬間、時間は抽象的なものではなくなりました。

「いつか」ではなく、「ここまで」という形で、はっきりとした輪郭を持つ。

その結果、1日の重さが変わりました。


なんとなく過ごす時間が減り、「これは今やるべきか?」と自分に問い直すようになった。


不安は増えました。けれど同時に、自分で選んでいるという感覚も戻ってきました。

迷いがなくなったわけではありません。

ただ、迷いながらも主体的でいられる状態に戻ってきたように思います。 その結果、私の中で1つの変化が起きました。

それはただ映像技術を学べばいい、という段階ではなく、

なぜ映像を作るのか。

そのために、本当に必要なことは何なのか。


そうした問いが、以前よりもはっきりと見えるようになってきたのです。

この内容については、また後日、改めてお話しさせてください。



  1. 選び直すという行為




「終わらせる」という言葉には、逃げや諦めのイメージがあるかもしれません。

けれど、私の実感は違いました。


終わりを決めたことで、人生を投げた感覚はありませんでした。

むしろ、「どこで生きるか」よりも「どう生きるか」に意識が戻ってきた。

続けられるから続ける、ではなく、選ぶから進む。

その違いは、結果や生産性以上に、自分自身の中の納得感として残っています。


もし今、毎日がどこか自動運転のように感じるなら、それはあなたが怠けているからではありません。

ただ、終わりが設定されていないだけかもしれない。

大きな決断でなくてもいい。

小さな期間や区切りを決めるだけで、時間の重さや、行動の質は変わっていく。


私は、この経験からそう感じるようになりました。

まとめ


行動や時間の使い方が変わったきっかけは、新しい目標を立てたことではありませんでした。

カナダ生活に「終わり」を決めたこと。

それによって、時間と向き合い直す感覚が生まれ、思考と行動の密度が自然と変わっていきました。


終わりを決めることは、諦めることでも、逃げることでもありません。


自分の時間を取り戻し、人生を選び直すための1つの方法なのだと、今は感じています。 ブログ一覧に戻る


▶︎ お問い合わせはこちらから

コメント


bottom of page