ビデオグラファーという生き方|前編
- hirovideocreator
- 7月10日
- 読了時間: 5分
更新日:8月16日
「本当にしたいことがわからなかった」平凡だった私が、カナダ行きを決めるまで。

〜はじめに:違和感のはじまり〜
”やりたいことがわからない” そんな想いを抱えていた時期が、私にもありました。
今このブログを読んでくださっている方の中にも、かつての私のように “何かモヤモヤするけど、答えが出ない” そんな時期を経験した方がいるかもしれません。
今回からの全5回ブログでは、そんな私の過去と、そこからどう変わっていったのかを少しずつ綴っていきます。今回はその前編、"自分の人生に違和感を抱えていたころ" のお話です。
1. 好きなはずの仕事で、少しずつ心が離れていった

20代前半、就職して1〜2年が経った頃。
仕事終わりに同僚と飲みに行き、カラオケに行き、笑い合う。
確かに楽しい時間のはずなのに、なぜか心のどこかで考え込んでしまう自分がいました。
「なんだろう、この感じ。みんな楽しそうなのに、自分だけ何かが噛み合わない……」
そんな小さな違和感の正体は、当時の私にはまだわかりませんでした。
最初に就いた接客業は、天職だと思っていました。お客様の笑顔を見られることが嬉しくて、そのために働いている感覚もあったのです。
しかし、日々の忙しさの中で接客の時間は減り、そのわずかな接客時間でさえ楽しめなくなっていきました。
「このままだと、接客そのものが嫌いになってしまうかもしれない……」
そう感じた私は退職を決意。
しかしその後に就いた営業職も数ヶ月で離れました。
「また、何かが違う……」
そう思いながらも、違和感の正体はまだはっきりとは掴めていませんでした。
2. 安定を選んでも、満たされなかった心の中

その後、地元に戻り、公務員系の仕事に就くことができました。
職場の人間関係もよく、日々の仕事もそれなりに楽しく取り組むことができました。
でも心のどこかで、
「この仕事に自分のすべてを注ぎ込めているか?」
と問いかける自分がいたのです。
実は私の生活の中心にあったのは、スノーボードでした。
20歳で始めて以来、冬は毎週末ゲレンデに通い、夏はジャンプ施設へ。
"働いて休みの日は滑る" そんな生活を社会人になってからはずっと続けていました。
3. なぜ私は、スノーボードに夢中になれたのか

なぜそこまで夢中になれたのか。
今思い返すと、スノーボードには他の何にも代えがたい感覚がありました。
雪の上を風を切って滑る、非現実の中にいるような爽快感。
自分が少しずつ上達しているのを実感できる心地よさ。
そして、何よりも “今この瞬間” に没頭できるあの感覚。
滑っているときだけは、何も考えずにすんだ。
スノーボードは、私にとって ”生きている実感” そのものでした。
4. 湧き上がる疑問と、答えのない問い

しかし20代後半になって、ふと疑問が湧き始めます。
「私はこのままでいいのだろうか?」
「週末のために、人生の大半を “ただ働くためだけ” に費やしていていいのか?」
「今の仕事に、本当に打ち込めているのか?」
そして、ようやく気づいたのです。ずっと心の奥にあった違和感の正体は——
「自分が本当にやりたいことが、わからない」
ということでした。
でも、、
「その “見つけ方” もわからない。」
「何から始めればいいのか、どこを探せばいいのか。」
焦っても、答えはどこにも見つかりませんでした。
伝えられなかった悔しさが、未来を動かした

でも、それでも毎日は過ぎていく。
心のどこかで、「このままでいいのか?」という違和感を抱えたまま、ただ働いては休日にスノーボードをする日々。
そんなある日、SNSでふと目にした情報が目に留まりました。
「憧れていた海外の有名スノーボーダーが、日本のとあるスキー場に来る」
胸が高鳴りました。——このチャンスを逃したくない。そう思って、仕事を休み、7時間かけてそのスキー場まで向かいました。
実際にその人を目の前にした瞬間の感動は、今でもはっきり覚えています。でも、本当は話してみたかった。どんな風に滑ってるのか、どんな練習してるのか、何を大切にしてるのか……
でも、話せませんでした。英語がわからず、ただ「Can I take a photo?」と伝えるだけで精一杯。
写真を一緒に撮ってもらった嬉しさの一方で、言葉が通じないことへの 悔しさだけがずっと残りました。
その帰り道、リフトの音も雪の感触も覚えていません。頭の中にあったのは、ただ一つ。
「英語が少しでも話せたら、もっといろんなことが知れたかもしれない」
憧れの海外スノーボーダーと出会ったあの日を境に、心の奥にあったモヤモヤが少しずつ動きはじめました。
「海外に出てみたい」
「スノーボードも、英語も、そして今の自分のままでいいのかも——全部知ってみたい」
そんな想いが芽生えたものの、すぐに決断できたわけではありません。
日々の仕事は変わらず続いていて、ただ気持ちだけが膨らんでいく。
それでも、その年の夏。ゆっくりと、でも確かに決意が固まりました。
「1年後、カナダへ行こう。」
小さな悔しさから生まれた想いが、未来への一歩へと形を変えた瞬間でした。
【6. カナダ行きを決意した、33歳の夏】

そうして私は、33歳の夏にカナダ留学を決心しました。
「英語は全くできない。」
「やりたいことが明確にあるわけでもない。でも——」
自分の “違和感” に、ようやく正直になってみようと思えたのです。
この決断が、やがて私を映像の世界へと導くことになります。
そしてその世界こそが、私の “熱” とつながっていくことになるのです。
続きの中編①を読む
【次回予告】
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
このブログは「ビデオグラファーという生き方」シリーズの5部作のうちの前編として、
“本当にやりたいことがわからなかった頃” の私自身を振り返ったものでした。
次回の中編①では、カナダでの生活の中で偶然出会うことになったYouTube編集との出会い、そして "伝えることの楽しさ" に気づいていく過程を綴ります。
気づけば夢中になっていった “映像のある日常” のはじまり。
よければ、次回もまた読みにきていただけたら嬉しいです。
私のように「やりたいことがわからない」と悩んでいた方や、
「想いを誰かに伝えたい」と感じている方へ。
もし何か感じることがあれば、ぜひお気軽にご相談ください。
映像のことでも、伝え方のことでも、お話を伺えたら嬉しいです。
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